行政書士をめざしたきっかけ
生後11か月で、千葉に引っ越して来てから、幼少時代、学生時代、OL生活、結婚後、子育て期と ほぼずっと千葉市内に居住しています。
千葉は気候も温暖で、坂も少なく、海も近いし、程よく都会で便利、緑も多い(育ったのは緑区なので)、住みやすくて大好きです。
そんな私ですが、主人の転勤に伴い、家族4人で、3年間宮城県の仙台市に住んでいました。
仙台は、さすが東北の中心地、杜の都、千葉に勝るとも劣らない、いや、正直、勝っているでしょう、素敵な街です。
街並みがきれいで、景色もステキ、川面が光った広瀬川などとてもきれいです。
市民参加のイベントなども盛んで、仙台駅前はとても便利、また、海の幸、山の幸どちらも豊富です。
中心市街から、簡単にスキー場にも、温泉にも、海にも行くことができます。
縁があって、転居した新たに過ごす町での生活を、愛着を持って楽しんでいました。
その仙台での3年間の、ほぼ真ん中で、あの東日本大震災が起きました。
幸い、家族全員怪我もなく、津波の被害もありませんでした。
しばらくはライフラインが回復せず、不便はありましたが、まず電気が点いた後にテレビで見た津波の被害の大きさに我が目を疑いました。
突然、それまでの日常が奪われ、誰を恨んでいいかわからない、やりきれない現実の中で、呆然とする被災地の人々に対し、日に日に自分の胸の奥がザワザワする感じが強くなりました。
支援物資の仕訳など多少のボランティアはしましたが、あの時、日本全国の多くの国民が思った、何か力になりたい、少しでも自分が役に立てることがないだろうか、そんな毎日でした。
しかし、転勤族の専業主婦にはできることに限りがあり、思いとはうらはらに何の役にも立てない自分がショックでした。
そんな中、例えばり災証明や、行政での特別の支援策、救済策にできる行列を目の当たりにしたり、東電の賠償のための分厚い手引書を前に途方にくれる人を見て、以前から知っていた行政書士だったなら、困った人々の役に立てたのではと思い当たったのです。
実際、宮城県のある行政書士さんのブログにも、行政書士がもっともっと認知され、1人の行政書士のが10人の申請を取り次げば、行列は単純に1/10で済んだはずだし、何より、まずは行政書士に相談してみようという意識が定着していたならば、不安も軽減でき、混乱も少しは抑えることができたはずとあり、共感しました。
その当時は、行政書士がどこまでどんな仕事ができるのか、はっきりとはわかっていませんでしたが、困っている人に安心感を与え、法律の力を使って効率よく手続きを進める手助けができる、そんな力が自分にあったなら。
こんなザワザワした胸の痛みを振り払うくらい、懸命に働いて、一人でも多くの人の力になりたい。
心からそう思いました。これが、私の行政書士を目指したきっかけです。
これからもずっと、大好きな仙台や東北、それから熊本へのできる応援は、生涯続けていこうと思います。
今、この仕事に就いて、各種実務の勉強をして、改めてあの時の気持ちを忘れずに、できるいろんな仕事を精一杯やっていこうと思っています。
私事ですが、大好きだった父を亡くし、その時の経験も活かし、逝く本人も、見送る周りの人も、多少なりとも心に余裕を持って、その時を迎えらるように、終活を中心に、特に高齢者の方々に寄り添い、力になりたいと思っています。
ただ、行政書士は実に1万以上の係われる業務があるといわれていますが、縁があってご依頼があった仕事は、できる限りやっていきたいを思っています。もちろん、しっかり準備をし、必要な教えを乞い、経験を増やし、確実で丁寧な仕事をいたします。持ち前の慎重さは十分発揮して、大風呂敷は広げず、適切に専門家や他仕業の先生におつなぎもいたします。まずはご相談してみてください。
どんな小さなことでも、いろんなことでお力になれたらとわくわくします。自分の周りの困っている人の笑顔のために。